本作は米雑誌『ザ・ニューヨーカー』に掲載された作品です。韓国に舞台を移した映画化では、原作に忠実な『バーニングドラマ版』と社会派仕立ての『バーニング劇場版』が存在します。
《あらすじ》
- 広告モデルをしている彼女には僕以外にも何人かのボーイ・フレンドがいる。
- 北アフリカの旅で仲良くなったという彼女の新しい恋人はきちんとした身なりの実業家だった。
- 二人を自宅に招いたパーティーで彼は不意にこんなことを口にした。「時々納屋を焼くんです」
【ホリー・ゴライトリーのような彼女】
彼女と二人でいると、僕はとてものんびりとした気持ちになることができた。やりたくもない仕事のことや、結論の出しようもないつまらないごたごたや、わけのわからない人間が抱くわけのわからない思想のことなんかをさっぱりと忘れることができた。
気まぐれで天真爛漫な彼女は、まるで『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリー。何処から来たのか、何処に行くのか分からない異邦人のような生き方を信条とする彼女。ホリーと同じように北アフリカの旅からふらりと帰国して来た彼女は、新しい恋人を連れていました。
【チュニスから来た男】
「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がするんです。海辺にぽつんと建った納屋やら、たんぼのまん中に建った納屋やら……とにかく、いろんな納屋です。」
チュニスからきた彼女の新しい恋人は若き謎の富豪『ギャツビイ』を彷彿とする男です。酒と大麻で気分よくなった彼は、他人の納屋に無断で火をつけていることを打ち明けます。彼の見解によればその行為に理由などなく、納屋は最初から存在しなかったかのように燃え落ちるのだと言います。
【存在の不確かさ】
イ・チャンドン監督による『バーニング劇場版』では、途中から原作を大胆にアレンジした社会派ドラマへと急転回します。社会的成功を手にしたギャツビイ氏に、彼女の件はもとより、社会の格差や分断の遺恨までも晴らそうという正義感や嫉妬心は、良くも悪くも現代の若者たちの気運を象徴しています。
しかし、仮に全ての原因をギャツビイ氏に押し付けたとしても、彼の中に明確な理由が存在しないとしたらどうでしょうか?人知れず焼け落ちる納屋にも、身寄りのない彼女の消失にも理由が与えられないとすれば、どちらも《存在の不確かさ》という後味の悪さだけが残ります。そして、その不確かさはボクたち自身にも向けられています。
かけがえのない自分の存在理由を何に求めればよいのでしょうか?
読後にそんな疑問が浮かんできました。これまでボーっと生きてきたボクは、いまだにその答えが分からないでいるのです。