本書はオウム真理教の信者・元信者へのインタビューで構成されたノンフィクションです。2018年に事件に関与した13人の死刑が執行され、司法の場における地下鉄サリン事件は終了しました。しかし、残された信者をはじめ、カルトによって一般社会からはみ出した人々を受け止める安全ネットが存在しない限り、いつかまた同じような事件が繰り返されるかもしれない、と本書は警告しています。
《本書の特徴》
自発的な証言を記録する手法は前回の『アンダーグラウンド』を踏襲した。証言者には実名の公表を依頼し、インタビュー後も訂正・削除を相互で綿密に行った。ただし、信者側の話をそのまま拾っていくと、宗教的プロパガンダになってしまいかねない。そうした懸念のある発言に対してはインタビュアーである村上春樹が疑念を呈し、また反論することで慎重にバランスを保っている。
『狩野浩之の証言(当時32歳)』
地下鉄事件のあと上九一色捜査がありましたが、科学技術省のメンバーは冤罪で根こそぎ逮捕されるかもしれないから、外に出ていたほうがいいという雰囲気になり、私も車で外に出てしばらくうろうろとしていました。だから一斉捜査のときにはそこにはいなかったんです。
(中略)
(麻原が)逮捕されても、怒りというようなものはまったく感じないんです。これは避けられないことだったんだなと、そう思うくらいです。オウムの信者にとっては、感情的に怒るとかそういうのはレベルの低いことですから。
彼は大学在学中に体をこわし、オウム真理教が主宰するヨーガ道場に通ったことをきっかけに入信した古参の出家者。「筋金入りの論理(=教義)から脱して、『自分自身の生きた論理』に移行していくまでにはもう少し時間がかかるかもしれない」と村上は語っている。
【オウム的なるもの】
オウムの関係者たちは、一様に地下鉄サリン事件に対して戸惑い、否定的な感情を抱きつつ、オウム真理教の教義そのものは正しいと今でも信じています。傍目には普通の人々と変わらない彼らに、いったい何が起こったのでしょうか? もし《オウム的なるもの》が再び目の前に現れたら、彼らは再びそこに惹かれていくのでしょうか?
哲学者のカール・ホパーによれば、「合理主義者」と呼ばれる人が往々にして《陰謀論》に囚われるとされます。ここでいう「合理主義」とは、物事には明確な因果関係があり、世界は何らかの意図によってコントロールされているという見識です。ところが現実の世界は混乱や矛盾を含んで成立しているために、そうした不都合な事実を排除してすべてが整合的に説明出来ると考える《陰謀論》は理論として明らかに無理があります。
社会からドロップアウトして信者となった彼らは、グルから差し出される「合理主義的な論理」によって、現実をジャンクな妄想に押し込めました。彼らの語る言葉は絶対帰依という限定空間でしか通用しません。しかしそれは単純で、強固で、完結しているために、それのどこが変なのか説得することはおろか、対話にも困難を極めます。《オウム的なるもの》と《陰謀論》はその熱量の違いこそありますがとてもよく似ています。
おそらく《オウム的なるもの》の入口には、疎外感や無力感、敵意といった負の感情ばかりでなく、理想を追求する純粋な想いも存在したに違いありません。本書はそのような彼ら一人ひとりの『入口の物語』のよき聴き手となることで対話を可能にしています。信者も元信者もインタビュアーである村上に対して驚くほど心を開きます。ただ、彼らが口にする歪んだ観念に私自身は言葉を失ってしまいますが。
今回はこのあたりまで。この続きは私自身が出来るだけ良き聴き手となって、作品のご紹介の中で取り上げたいと思います。