村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【殺人詩人】(『犬の人生』より)

 14回にわたってご紹介してきた本書の最後の作品のご紹介になります。今回はこれまでのような「ちょっと変な感じ」を通り越して、「猟奇的な感じ」にまで踏み込んでいます。果たして殺人詩人が書いた詩集は芸術に値するのか? 作者であるマーク・ストランドは何を語ろうとしているのか? 最後の謎解きにお付き合いください。

 

《あらすじ》
西洋沿いにある貧しい小さな島国の国家文芸評議会は、毎年出版された本の中からもっとも優秀なものを選んで賞を授与していた。その年の最終選考会では、検討協議に先だって評議員たちのあいだでは既に合意に達していた。ある一冊の本が群を抜いて傑出していたのだ。それはようやく日の目を見た私の友人スタンリーの処女詩集だった。

 

『犯罪と文学的達成』

「しかし彼の誠実さに報酬を与えれば、彼の犯罪を容認しているという印象を与えることになるかもしれません。それは彼の犯罪だけを取り上げて、彼の文学的達成を見逃してしまうのと同じことではありますまいか」

 

タンリーは理由もなく両親を殺害し、一片の悔恨の情を示すことなく死の肥沃さについて詩に書き留めた。彼の優れた才能を評価する一方で、いかにして彼の犯した忌むべき犯罪を糾弾するべきか。その困難な命題を解決するために、評議会は衝撃的な結論を導き出す。

 

カリブ海文学】

 過酷な植民地支配のもとで欧米社会への服従を強いられたカリブの人々の間からは、反抗と革命、アフリカへの望郷と復帰を願う《カリブ海文学》が生まれました。そこには、欧米文化から自立し、白人対黒人の構図を超えた新たなアイデンティティを求める気運がみなぎっています。

 

 本作には《カリブ海文学》が育まれる土壌で、架空の文芸作品が物議を巻き起こす様子が描かれます。物語後半で明かされる詩人の手記には殺人の経緯が淡々と書かれていますが、彼の詩集そのものは『不可思議な厳粛さ』と『神秘的な一貫性』が込められていました。

 

 犯罪というバイアスを取り払おうと、私は何度も繰り返しスタンリーの手記を読み返してみました。その結果、正直に言えば詩人の想いを理解するところまでには至りませんが、過去に話題となった文芸作品を思い返しながら、次のようなイメージを思い浮かべました。

 

  スキャンダラスな問題作に対して人は誰しも賛否の渦を巻き起こし、やがてそれは名作の誕生に添えらるエピソードと化す

 

言論の自由

 アメリカ国民にとって《言論の自由》が最も大切な権利とされています。思想・良心の自由を重んじた合衆国憲法修正第1条は、「人々が同意する言論ではなく、人々が憎悪する言論を守るために存在する」とさえ言われています。マーク・ストランドの全ての作品に大前提として《言論の自由》の思想が息づいて、今回の作品は特にそのことを強く考えさせられました。

 

 2022年3月の現在、私たちはロシアの暴挙を目にして《言論の自由》の大切さを痛切に感じています。しかし間違わないようにしたいのは、《言論の自由》は憎悪する相手を排除するための道具ではないということです。

 

 憎悪する相手との対話を通じて、たとえ理解や共感に至ることが出来なかったとしても、お互いの立場を認め合う共生共存の道が何処かにあるはず。おそらくそれが、この先も続いていく平和への長い道のりの到達点ではないでしょうか。