村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【世界で最後の花】

 本書の作者のジェームズ・サーバーはオハイオ州生まれです。雑誌「ニューヨーカー」の編集者・執筆者として活躍しました。イラストレーター、漫画家としても活動し、当時最も人気のあるユーモア文学作家の一人であったと言われています。

 

 原作は1939年9月にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発した同年の11月に刊行されています。一躍世界的ロングセラーとなり、我が国でも1983年に刊行された後に絶版になりました。2023年6月、村上春樹の新訳で復刊された本作をご紹介します。

 

《あらすじ》
12次世界大戦によって文明は破壊され、町も都市も村も地上から消えてしまった。生き残った人間たちはなにをするでもなく、ただぼんやり座りこんだまま歳月が流れた。ある日、ひとりの若い娘が世界に残った最後の花を目にする。そしてひとりの若い男とその一輪の花を育てはじめた。

 

『世界に愛が再び生まれた』

まもなく花は二本になり、まもなく四本になり、それからもっともっとたくさんになりました。 林と森がまた地上にもどってきました。 若い娘は、自分がどんなふうに見えるか、気になりだしました。 若者はその娘にさわるのが、とてもすてきな気持ちのするものだと気づきました。 世界に愛が再びうまれたのです。

 

こから膨大な歳月が流れ、新たな秩序が積みあげられていく。町や都市ができ、様々な商売や芸術が生まれた。しかし、対立する住民たちを扇動する信仰や思想によって、全てを無に帰する戦争がまたもや勃発する。

 

【魂のソフト・ランディング】

 本書には、戦争を繰り返す人類への皮肉と、平和への切実な願いが込められています。サーバーは、時の趨勢であったキリスト教的な意味付けや、マルクス主義的な弁証法などを排斥して、社会に訪れた無意味で不条理な現実を描きました。その平易な語り口と簡素なイラストには、物事を根本的に解決するうえで知性や論理など無用という徹底的な反知性主義が貫かれています。

 

 2022年2月24日、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まりました。私たちは東西対立という歴史の混沌に再び足を踏み入れつつあります。心ある人なら誰もが、このような状況を脱して、平和で秩序ある世の中へのランディング(着地)を願うに違いありません。

 

 かつて村上春樹は、原理主義ナショナリズム、極端な啓蒙思想によって物事の解決を図る「ハード・ランディング」に対抗する「ソフト・ランディング」の重要性を説きました。「ハード・ランディング」が目に見えやすく、手に取りやすく、言語化しやすい一方で、「ソフト・ランディング」は見えにくく、手ごたえがなく、分かりにくいものであるとしながら、次のようにコメントしています。

 

定義化しがたいものを定義するにはどうすればいいのか?言語化しがたいものを言語化するにはどうすればいいのか? 僕はそれこそが「物語」の果たすべき役割だと思うのです。(中略)僕は21世紀の物語とは(なんだか大きく出るようで心苦しいのですが)、そのような魂のソフト・ランディングに向けてのガイドライン作りにあるだろうと考えています。(ユリイカ総集編『魂のソフト・ランディングのために』より)

 

 定義しがたいものを定義するために、あるいは、言語化しがたいものを言語化するために、本作では『世界で最後の花』という比喩が使われます。たった一つ残された花を愛しむというささやかではあっても確かな幸せを感じる心が、平和への気の遠くなるような長い道のりを支えてくれると信じたいものです。

 

 復刊された本書も、遠からず絶版の憂き目を見ることになるのでしょうか? それもまた仕方のないことかもしれません。生身の人間が長きにわたって世界の破滅への警戒感を持ち続けるのはあまり健全とは言えませんし、そもそも本書のメッセージが戦争の当事者の心に刺さるとは到底考えられませんから。ただ、素朴な絵の筆づかいが、不思議に私の脳裏に残ったことは確かです。