これまで抽象化された物語を描いてきた作家にしてはめずらしく、本作は特定の場所や時間を具体的に想起させる記述になっています。さらに、主人公が口にした恨み節がその後の阪神淡路大震災に結び付けられてセンセーショナルに受け止められるなど、何かと話題となった作品をご紹介します。
【要約】
- 結婚式に招待され12年ぶりとなる古い街へのセンチメンタルな旅。
- 「十二年前と何もかもが同じだ」と自分に言い聞かせる「僕」。
- しかし、思い出の詰まった海岸線は埋め立てられ、海は彼方に押しやられていた。
『少年の魂』
おい、こっちだよ、こっち。ほら俺だよ、覚えてない?君にぴったりの良い場所があるんだ。一緒に来いよ。きっと気に入ると思う。
友人の結婚式に出席するために、12年ぶりに帰ってきた街。かつて友人であった六歳の少年の魂が「僕」を懐かしい場所へと誘います。
『古い防波堤の名残り』
一時間後にタクシーを海岸に停めたとき、海は消えていた。いや、正確に表現するなら、海は何キロも彼方に押しやられていた。古い防波堤の名残りだけが、かつての海岸道路に沿って何かの記念品のように残されていた。それはもう何の役にも立たない、ただの古びた低い壁にすぎない。
かつての海岸線は埋め立てられ、海は遥か遠くになっていました。薄々予想していたものの、目の前に広がる茫漠たる光景にショックを受けます。かつての海岸道路に沿って歩いているうちに、二十年前の記憶が自然とあふれ出してきます。
【記憶の地下水脈】
ここからボクの個人的な体験で恐縮ですが、12歳の時に火事で焼失した実家の跡地を訪れたときのことを思い出しました。そこは観光ルート上の見晴らしの良い場所なので、市が土地を買い上げ公園に作り変えていました。かつて庭の入り口であった場所に残る石垣は、今でもボクに子供の頃のことを思い出させてくれます。
誰しもそんな時と場所を心に大切にしまっているのではないでしょうか
村上作品には、その根底に作者の個人的な記憶の地下水脈が流れていて、それぞれの作品は独立した寓話形式をとりながら緩やかなつながりが感じられます。とりわけ本作は、創作の手の内を明かさない作者が、個人的な記憶の一端を垣間見せてくれた珍しい作品に仕上がっています。
実在したと言われる防波堤の跡は今も残っているのでしょうか?いつか機会があれば訪れてみたいものです。
埋め立てが終った物語の舞台の芦屋浜(芦屋市HPより)